Menu
何気なく、というか。
いろいろな物事が、日常にあふれている毎日、てのは、
『命』とか『生きる』とかいうことから
「気が逸れている」ことが殆どです。

日常は私たちの「気」を逸らすもので溢れていて、
『命』の本質から私たちを遠ざけていたり、
目隠ししている、てか、
正しく言えば、
私たちがよそ見しっちゃってる、てだけで、
物事が存在していることは別に何でもないこと。


今年は突然に母を見送りました。
検査に行って、そのまま即入院、であれよあれよと言う間でした。
医師からの言葉には何一つ「希望」の持てる言葉はなく、
暗に「安楽死」の言葉が後ろに聞こえてくる説明でしかなかった。
そんなとき、インナーチャイルドがどうだとか、
過去の恨みとかトラウマがとうだとか、そんなこたぁどーでもいい!
そんなちっちゃなこと、いちいち関係ない!
「命」を前にしたら、そんなちっちぇえこと!
真剣な命のやりとりには。

「今できることをやるだけだ」

何の気の準備もできてないし、
毎日の母の体調も不安定で、
いつどうなるかわからない、昨日が元気でも回復していると医師は言わない、
回復しているとは絶対言わない。
ただどんな1日になっても後悔のないよう精一杯のことをする。
毎日の展開はあまりにも早く、毎日「覚悟」を決める。
「命(時間?)は待ってくれない」
思うより早い。
・・・うまく言えませんが、
「命の流れは勢いが強く、無常でも流れてゆく」
「○○ができるようになったら、○○やろう」とか、
そういう余裕もないほど激流。

そういう「真剣」な時を過ごした時でないと
聞けない、読む余裕のないものがあります。
『死者の書』。
すでに、ご存知の方もいらっしゃると思います。
読んで解脱、耳で聞いて解脱できるそうです。
CDなどもありますので、亡くなった方の横で流して差し上げて下さい。
少々怖い。。。ですが、
こういう真剣な心の時でしかできないことです。
亡くなって既に何年か経っていても大丈夫らしいです。

YouTubeこちら

何章かにわかれています。


実際、インナーチャイルドも大切な存在で小さいわけではないと思うのですが、
囚われ過ぎなくてもいいんだ、
インナーチャイルドと聞いてネガティブな印象になってしまっていたことにも気づいた訳です。
インナーチャイルド=私、です。
私はキリスト教徒ではありませんが、
イエスが聖書の中で「幼子のような心で」と、仰っていたことを
時々何気なく思い出していたのですが、
つまりは
「インナーチャイルド」のことだったのかなと。


今年は一種の大きな「愛」の一部を体験させて頂いた一年でした。







現在の閲覧者数:











スポンサーサイト

Comment

Leave a Reply


管理者にだけ表示を許可する